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【連載第2回】事業転換の成功法則|富士フイルム、任天堂、ヤマハの華麗なる転身

はじめに
連載第1回では、サンリオが絹製品の会社から世界の「カワイイ」をリードするIP企業へといかに変身を遂げたかをご紹介しました。
サンリオのように、今の姿からは想像もつかない過去を持つ企業は他にもたくさんあります。第2回では、様々な企業の「華麗なる転身」を掘り下げ、その成功パターンを探ります。
主力事業の消滅という危機をどう乗り越えたのか? 一見まったく関係のない事業に、どんな共通点を見出したのか? 有名企業の驚きの変身物語から、現代のビジネスに活かせるヒントを見つけていきましょう。
第2章 まだある!驚きの変身を遂げた企業たち
ここでは、いくつかの代表的な企業の「華麗なる転身」をタイプ別に見ていきましょう。
企業名 | 元々の事業(設立年) | 今の事業 | 変身のきっかけ | 成功の鍵 |
---|---|---|---|---|
サンリオ | 絹製品、ギフト商品(1960年) | グローバルIP・キャラクターライセンス | デザインの価値の発見 | キャラクター開発と経済圏づくり |
任天堂 | 花札(1889年) | ゲーム・エンターテインメント | カード市場の頭打ち | 新しい「遊び」の追求 |
富士フイルム | 写真フィルム(1934年) | ヘルスケア、高機能材料 | 主力市場の消滅 | 自社技術の「宝探し」と転用 |
ヤマハ | 楽器(1887年) | 多角化メーカー(発動機含む) | 戦後の生産設備の活用 | 製造技術の応用 |
3M | 鉱業(失敗)(1902年) | 多角化化学・素材メーカー | 創業事業の完全な失敗 | 失敗を許容するイノベーション文化 |
ティファニー | 文房具、装飾品(1837年) | 高級宝飾品 | フランス革命という歴史的事件 | 千載一遇のチャンスを掴む決断力 |
富士フイルム:写真フィルムの危機を「得意技」で乗り越え、化粧品の世界へ
2000年代、デジタルカメラの登場で写真フィルム市場が消滅するという、富士フイルムは存亡の危機に立たされました。売上の6割を占める事業が、目の前でなくなろうとしていたのです。
絶体絶命の中、同社は「第二の創業」を掲げ、自社が持つ技術を徹底的に洗い出しました。すると、写真フィルムを作るために長年磨き上げてきた技術が、全く別の分野で活かせる「お宝」であることが分かったのです。
- フィルムの主原料コラーゲンの研究 → 化粧品(アスタリフト)へ
- 写真の色褪せを防ぐ抗酸化技術 → サプリメントや医薬品へ
- ミクロの粒子を精密に塗るナノ技術 → 医薬品へ
富士フイルムは自らを「フィルム屋」ではなく「高度な化学技術を持つ会社」と再定義することで、この危機を乗り越えました。これは、自社の本当の強み(得意技)を見極め、新しい市場で活かす「コンピテンシー・ピボット」の鮮やかな成功例です。
ヤマハ:ピアノ職人がなぜバイクを?隠された共通点
ピアノや楽器のイメージが強いヤマハですが、オートバイで知られるヤマハ発動機が元々は同じ会社だったことは有名です。しかし、なぜ楽器メーカーがバイクを作ることになったのでしょうか?
その答えは、ピアノ作りの過程にありました。ピアノの美しい音色を支える頑丈なフレームは、高度な金属鋳造技術で作られています。第二次世界大戦中、その技術は航空機のプロペラ製造に応用されました。そして戦後、平和な時代が戻ってきたとき、社長の川上源一は、このプロペラ製造で培ったエンジン技術と工場の設備を活用して、オートバイを作ることを決断したのです。
ピアノフレームを造る技術が、バイクのエンジンシリンダーを造る技術へと応用されたのです。一見全く関係ないように見える「ピアノ」と「バイク」が、製造技術という見えない糸で繋がっていた、まさに「マニュファクチャリング・ピボット」の事例です。
任天堂:花札屋から世界のゲーム王へ。「遊び」の進化の物語
今や世界中の人々を熱狂させる任天堂ですが、その始まりは1889年、京都の花札屋でした。しかし、カードゲーム市場が飽和し、会社は経営危機に陥ります。
この危機を乗り越えるため、任天堂は「遊びとは何か?」を問い直し、新しい娯楽の形を模索し始めます。大ヒットした玩具「ウルトラハンド」や、業務用ゲーム機などを経て、1983年、ついにあの「ファミリーコンピュータ」を発売。これが世界的な社会現象となり、任天堂をビデオゲームの王者へと押し上げました。
任天堂の歴史は、自社の事業を「花札屋」から「娯楽を提供する会社」へと進化させ続けた物語です。この広い視野があったからこそ、紙のカードから電子ゲーム、そして今日のNintendo Switchまで、常に新しい「遊び」を創造し続けることができたのです。
3M:大失敗から生まれた「イノベーションの天才集団」
ポスト・イット® ノートやスコッチ™ テープなど、革新的な製品で知られる3M。しかし、そのスタートは壮大な失敗でした。1902年、砥石の原料となる鉱物を掘る会社として設立されましたが、掘り当てた鉱物は全く価値のないものだったのです。
会社は倒産の危機に瀕しながら、サンドペーパー(紙やすり)製造へと事業転換します。この手痛い失敗の経験から、3Mには「挑戦を奨励し、失敗を恐れない」という独特の文化が根付きました。
その象徴が、勤務時間の15%を自分の好きな研究に使える「15%カルチャー」という制度です。貼ってはがせる接着剤という「失敗作」からポスト・イット® ノートが生まれたように、この自由な文化から数々の画期的な製品が誕生しました。3Mは、一度の事業転換ではなく、「イノベーションを生み出し続けること」そのものをビジネスモデルにしたのです。
ティファニー:文房具屋がフランス革命で宝石の王様に
世界中の女性の憧れであるティファニー。その始まりが1837年、ニューヨークの小さな文房具・装飾品店だったことはあまり知られていません。
会社の運命を変えたのは、1848年に遠く離れたヨーロッパで起きた「フランス二月革命」でした。革命の混乱から逃れるため、フランスの貴族たちが持っていた大量の宝石が市場に放出されたのです。
創業者チャールズ・ティファニーは、この千載一遇のチャンスを見逃しませんでした。彼は貴重な宝石を買い付け、まだ本格的な宝石商がいなかったアメリカで販売します。これが大成功を収め、ティファニーは「キング・オブ・ダイヤモンド」としての地位を確立。その後、「ティファニーブルー」の箱や婚約指輪の代名詞「ティファニーセッティング」といった巧みなブランディングで、その地位を不動のものとしました。歴史的な大事件という外部の機会を捉え、大胆な決断で未来を切り拓いた見事な事例です。
まとめ
今回は、危機や偶然をきっかけに、自社の強みを再発見し、華麗なる転身を遂げた5社の物語をご紹介しました。彼らの成功は、決して幸運だけによるものではありません。自社の技術や文化を深く理解し、変化を恐れずに行動した結果なのです。
しかし、事業転換は常に成功するとは限りません。次回【第3回】では、変革の裏に潜む「罠」と、失敗事例から学ぶべき教訓、そして、これからの時代を生き抜くための成功の秘訣に迫ります。
編集者: マイソリューションズ編集部 https://hr.my-sol.net/contact/