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AI化社会で生き延びる道は、国の経済力にも関係するのか?!

前回のエッセイ・レポートではOECD成人習熟度(PIAAC)の日本版を中心に紹介した。今回以降は、WW版から項目別内容をいくつか見ていきたい。
今回は、AI化が雇用機会を奪うと言われている点に関しOECD PIAAC2023年版が語っていることと、そこから敷衍して習熟度と国・地域の経済についてレポートする。
まず、AI化が雇用機会を奪うと言われる点で、OECDのスタンスはYes and Noである。もともと、手順の決まっている標準作業は自動(IT)化可能だった。AIは、その決まっている手順を自動学習してくれるので、これまでは暗黙知として標準化が難しいと思われていた領域でも置き換えできるようになる。この流れは加速していくだろう。この点がYes。ところが、それで低価格化した製品・サービスが新たな需要を生み、更なる労働力を必要とする。これがNo。そもそも、IT化にしてもAI化にしても、ただではない。導入コストの償却目途がなければ、定型的作業でも人が作業を続ける方が経済的に合理的だ。その観点でも、全てがIT化・AI化されると言えないのは納得できる。実際、50年前の「機械化」はトランジスターガール(朝ドラ『ひよっこ』で取り上げられていた)をなくしたが、それでも社会全体の雇用はあった。「その仕事」はなくなっても「それ以外の仕事」が登場する。個人レベルで言えば仕事の内容が変わるにつれ、リスキリング努力が必要である点で、簡単なこととは言わないが。
その意味で必要なのが習熟度。技術変化の速い中でのリスキリングには、新技術を理解し学ぶ過程が必要で、その「読解力」や「数的思考」を維持することが個人には必要ということになる。
社会から見ても、習熟度レベルの高い人口とGDPには、不思議なことに高い相関関係が見られた。サンプル数が少なく単なる偶然かも知れないが、習熟度の高さと社会の経済力が相関するのであれば、学校でも会社・社会でも教育にコストをかけるのに経済的な観点でも合理性がある。
レポートで詳述する。
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